夏休みも終わり、9月。
37歳、既婚、で、今年の終わりには人の親になります。
なんて自覚のない人の親なのでしょう(笑)
そんなもんなのかなー…。
生まれてきた赤ん坊をこの手で抱いたときに、何かまた新しい始まりが始まるのだろうかと
中学生の作文のような書き出しを頭の中で巡らせつつ日々生活しています(笑)
とにかく、元気で無事に生まれてきてくれれば
何も言うことはありません。
とりあえずは楽しみに時を待って、
楽しみながら子育てが出来たらなーと願っています。
ちなみに赤ん坊は女の子です。
ほー…。
2011年9月11日日曜日
2011年8月30日火曜日
お知らせ
明日8/30~9/3迄(4、5を含む)は教室を夏休みとさせて頂きます。教室、ご注文等のお問い合わせはメールにてご連絡をお願いいたします。なお、メールの確認、返信なども9/3以降となりますのでご了承下さい。※教室は9/6より通常営業となりますのでよろしくお願いいたします。
2011年8月25日木曜日
友人
高校の友人と飲み会、みんな大人になったなーと(笑)
もう37だし皆それなりに紆余曲折もあるけど、
それぞれがそれぞれの立場で、何とかがんばっている。
がんばっている感を感じられるのは、とても嬉しいし、何だか力も沸いてくる。
それだけ分かり合えれば十分だ。
また今日も一日が終わり明日は必ずやって来る。
そしてもうすぐ夏休み。
その前に、首がおかしいので何とかそれまでには治したい…。
もう37だし皆それなりに紆余曲折もあるけど、
それぞれがそれぞれの立場で、何とかがんばっている。
がんばっている感を感じられるのは、とても嬉しいし、何だか力も沸いてくる。
それだけ分かり合えれば十分だ。
また今日も一日が終わり明日は必ずやって来る。
そしてもうすぐ夏休み。
その前に、首がおかしいので何とかそれまでには治したい…。
2011年7月5日火曜日
平常心
もう夏だ。
前回の更新から2ヶ月近く経ってしまったけれど
時間は相変わらず確実にながれているし、
自分の日常というのは、日々単調なようであっても
何かしらの変化や成長があり、そして前に進んでいる。
少なくとも「後退」はしていない(頭じゃないです)
というところに少々の充足感を得ることはできる。
ま、頭も後退してしまうのはまだまだ許せないのだけれど…。(笑)
そして、もうすぐ37歳、もういい大人のおっさんか?
それとも子供なおっさんか?
そんなことはどうでもいいことだ。
何か結果を出すというのも、その「何か」っていうのは自分にとって特別なものじゃないし
結果を求めたり、求められたりというのもよくわからない…。
それより何より、結果に囚われず。
他人は関係してくるけど他人に関係なく、
自分の道を行けばいいのだろうと思う。
結果は後からついてくるというのはそういうことだ。
良くも悪くもそれはそれ、そしてその繰り返し。
もう〇歳なんだからとか、結果を求められる歳だとか
誰かがそんなことを言っていたけれど、
そう言う人はそういう言葉に常に縛られ、
プレッシャーが生きがいで毎日を過ごしているんだろうと思う(笑)
満足を知らなさすぎる人生も辛いかな…。
なので、そんなような「結果」というものは僕はいりません。
つまりは、高い山に登ったつもりが、向こうにはもっと高い山があって
その途中の山からの眺めでもって人を判断したり
周りが見えなくなったり、そんな山登りはしたくないということだ。
抽象的かも知れないけれど、素晴らしい景色も人によって見え方や捉え方は違うということと、
その価値感を他人に無理に押し付けてはいけないということだ。
自分がいいと思ったことが誰に対しても、すべてにおいて「いい」ということでは無い…。
大事なことはそれだけだ。
それさえ知っていれば、結果がどうこうとかは自分自身に問い、
周りの環境や人に対して、良い意味で気にならなくなる。
そんなこんなの人間の本性を垣間見たり、
その反動なのか、すごく謙虚に、熱心に
生き生きとした人間に最近たくさん知り合う。
前にツイッターでも書いたけれど「正常な変態」(笑)
こういう人っていうのは人を喜ばせたりおもしろくしてあげることが
得意な人が多いみたいで、しかも仕事人が多い
自分の周りだけかも知れないが(笑)
とにもかくにもそんな日常の中で
できるだけ心を穏やかに、物事に取り組みたいという気持ちが強い。
あくせくするときはするし、上手くいかないこともいろいろあるけれど
変態的な平常心を持ち続けて、今後も、仕事も生活もいろいろと楽しみながら暮らしていきたい。
そんな決意を毎秒新にしながら、我はゆく。
前回の更新から2ヶ月近く経ってしまったけれど
時間は相変わらず確実にながれているし、
自分の日常というのは、日々単調なようであっても
何かしらの変化や成長があり、そして前に進んでいる。
少なくとも「後退」はしていない(頭じゃないです)
というところに少々の充足感を得ることはできる。
ま、頭も後退してしまうのはまだまだ許せないのだけれど…。(笑)
そして、もうすぐ37歳、もういい大人のおっさんか?
それとも子供なおっさんか?
そんなことはどうでもいいことだ。
何か結果を出すというのも、その「何か」っていうのは自分にとって特別なものじゃないし
結果を求めたり、求められたりというのもよくわからない…。
それより何より、結果に囚われず。
他人は関係してくるけど他人に関係なく、
自分の道を行けばいいのだろうと思う。
結果は後からついてくるというのはそういうことだ。
良くも悪くもそれはそれ、そしてその繰り返し。
もう〇歳なんだからとか、結果を求められる歳だとか
誰かがそんなことを言っていたけれど、
そう言う人はそういう言葉に常に縛られ、
プレッシャーが生きがいで毎日を過ごしているんだろうと思う(笑)
満足を知らなさすぎる人生も辛いかな…。
なので、そんなような「結果」というものは僕はいりません。
つまりは、高い山に登ったつもりが、向こうにはもっと高い山があって
その途中の山からの眺めでもって人を判断したり
周りが見えなくなったり、そんな山登りはしたくないということだ。
抽象的かも知れないけれど、素晴らしい景色も人によって見え方や捉え方は違うということと、
その価値感を他人に無理に押し付けてはいけないということだ。
自分がいいと思ったことが誰に対しても、すべてにおいて「いい」ということでは無い…。
大事なことはそれだけだ。
それさえ知っていれば、結果がどうこうとかは自分自身に問い、
周りの環境や人に対して、良い意味で気にならなくなる。
そんなこんなの人間の本性を垣間見たり、
その反動なのか、すごく謙虚に、熱心に
生き生きとした人間に最近たくさん知り合う。
前にツイッターでも書いたけれど「正常な変態」(笑)
こういう人っていうのは人を喜ばせたりおもしろくしてあげることが
得意な人が多いみたいで、しかも仕事人が多い
自分の周りだけかも知れないが(笑)
とにもかくにもそんな日常の中で
できるだけ心を穏やかに、物事に取り組みたいという気持ちが強い。
あくせくするときはするし、上手くいかないこともいろいろあるけれど
変態的な平常心を持ち続けて、今後も、仕事も生活もいろいろと楽しみながら暮らしていきたい。
そんな決意を毎秒新にしながら、我はゆく。
2011年5月10日火曜日
自分とは…。
何事もなかったかのように、日々生きることに専念する…。
仕事や制作の意味が特に変わったということも無い、
ただいつまで陶芸ができるかなー…。と、以前よりも強く思うようになった。
極端だけど、そんな気持ちの変化というのは今回の震災に限らず
「人間いつどこで何が起こるかわからない」ということを常々思っているので
今回のことで、より真剣に、よりストイックに、そしてナルシストになって(笑)
陶芸という仕事を、より楽しもうと思っている。
僕にとっての幸せな日常というのは、帰る家があることだ。
衣食住という基本がちゃんとあって
家族がいて、友人がいて、周りの人間関係が充実していることだ
それが満たされていなければ僕の仕事は成り立たない。
孤独だなんだと言ったところで、結局は一人では何も成り立たない人間だ。
ものをつくることというのは孤独な作業だと思うが
それは当たり前。ただそこから先はたくさんの人が関わっているから
そこだけはしっかりと大切にしていかなくてはいけないと思う…。
だからやっぱり、エラそうなことは言えないし
言っちゃいけない…。
ほんとに出来る人間はいつでも寡黙なものだ。
それを教えてくれたのは僕が頭の上がらない、
仕事っぷりを尊敬して止まない、何人かのお師匠さん。
「謙虚で口下手な作り手こそが本物である」ということを
そのお師匠さん達は決して”語ることなく”その生き様で、僕にいろんなことを教えてくれた。
少しずつでも良いから、僕もそこに近づきたいと思って日々仕事をしている…。
話しは脱線したけれど、
「帰る家」より大事なものはないということを
思い知りながら、何が自分にとって本当に満足できることなのかを知りながら、
また日常は続いていくし、そうやって知らぬ間に前に進んでいくのだろうと思う。
仕事や制作の意味が特に変わったということも無い、
ただいつまで陶芸ができるかなー…。と、以前よりも強く思うようになった。
極端だけど、そんな気持ちの変化というのは今回の震災に限らず
「人間いつどこで何が起こるかわからない」ということを常々思っているので
今回のことで、より真剣に、よりストイックに、そしてナルシストになって(笑)
陶芸という仕事を、より楽しもうと思っている。
僕にとっての幸せな日常というのは、帰る家があることだ。
衣食住という基本がちゃんとあって
家族がいて、友人がいて、周りの人間関係が充実していることだ
それが満たされていなければ僕の仕事は成り立たない。
孤独だなんだと言ったところで、結局は一人では何も成り立たない人間だ。
ものをつくることというのは孤独な作業だと思うが
それは当たり前。ただそこから先はたくさんの人が関わっているから
そこだけはしっかりと大切にしていかなくてはいけないと思う…。
だからやっぱり、エラそうなことは言えないし
言っちゃいけない…。
ほんとに出来る人間はいつでも寡黙なものだ。
それを教えてくれたのは僕が頭の上がらない、
仕事っぷりを尊敬して止まない、何人かのお師匠さん。
「謙虚で口下手な作り手こそが本物である」ということを
そのお師匠さん達は決して”語ることなく”その生き様で、僕にいろんなことを教えてくれた。
少しずつでも良いから、僕もそこに近づきたいと思って日々仕事をしている…。
話しは脱線したけれど、
「帰る家」より大事なものはないということを
思い知りながら、何が自分にとって本当に満足できることなのかを知りながら、
また日常は続いていくし、そうやって知らぬ間に前に進んでいくのだろうと思う。
2011年4月18日月曜日
生きている。
もう4月ですね。
あの大きな地震から1ヶ月、
あたりまえの日常を以前よりも幸せに感じる日々が多くなりました。
そしていろいろと振り返ることができた。
自分は陶芸で活動できていることに感謝し嬉しく思うし、
これからもさらに陶芸を、この仕事を一生懸命やっていこうと思います。
あとどれぐらい陶芸をやっていけるだろうか?と、そういうことも考えます。
だけど、いろいろなことを考えるよりも事実を受け止めながら
自分は自分のやるべきことを今まで以上に、
夢中に真剣になってやっていこうという決心もつきました。
生きているというか生かされているような…。
大袈裟かもしれないけれど、そんな思いを馳せながら
そういう気持ちを日々忘れることなく
僕は陶芸をやっていこうと思う。
生きてるんだから。
あの大きな地震から1ヶ月、
あたりまえの日常を以前よりも幸せに感じる日々が多くなりました。
そしていろいろと振り返ることができた。
自分は陶芸で活動できていることに感謝し嬉しく思うし、
これからもさらに陶芸を、この仕事を一生懸命やっていこうと思います。
あとどれぐらい陶芸をやっていけるだろうか?と、そういうことも考えます。
だけど、いろいろなことを考えるよりも事実を受け止めながら
自分は自分のやるべきことを今まで以上に、
夢中に真剣になってやっていこうという決心もつきました。
生きているというか生かされているような…。
大袈裟かもしれないけれど、そんな思いを馳せながら
そういう気持ちを日々忘れることなく
僕は陶芸をやっていこうと思う。
生きてるんだから。
2011年3月18日金曜日
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